天龍寺エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本35.0155135.673814
最大35.01625135.674415
最小35.01531135.673428

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概要 / Summary

天龍寺は、京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町にある臨済宗天龍寺派大本山の寺院です。
寺号は詳しくは天龍資聖禅寺と称します。
足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として京都五山の第一位とされていました。

推定される住所 / Address

京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町10-6
京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町11-6
京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町12-6
京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町16-6
京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町17-6

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誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

天龍寺は、京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。
山号は霊亀山。
寺号は正しくは霊亀山天龍資聖禅寺は夢窓疎石である。
足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として京都五山の第一位とされてきた。
「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。
その後約4世紀を経て荒廃していた檀林寺の地に後嵯峨天皇は離宮を営み、「亀山殿」と称した。
「亀山」とは、天龍寺の西方にあり紅葉の名所として知られた小倉山のことで、山の姿が亀の甲に似ていることから、この名がある。
天龍寺の山号「霊亀山」もこれにちなむ。
足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺である。
尊氏は暦応元年/延元3年、征夷大将軍となった。
後醍醐天皇が吉野で崩御したのは、その翌年の暦応2年/延元4年である。
足利尊氏は、後醍醐天皇の始めた建武の新政に反発して天皇に反旗をひるがえした人物であり、対する天皇は尊氏追討の命を出している。
いわば「かたき」である後醍醐天皇の崩御に際して、その菩提を弔う寺院の建立を尊氏に強く勧めたのは、当時、武家からも尊崇を受けていた禅僧・夢窓疎石であった。
寺号は、当初は年号をとって「暦応資聖禅寺」と称する予定であったが、尊氏の弟・足利直義が、寺の南の大堰川に金龍の舞う夢を見たことから「天龍資聖禅寺」と改めたという。
寺の建設資金調達のため、天龍寺船という貿易船が仕立てられたことは著名である。
落慶供養は後醍醐天皇七回忌の康永4年に行われた。
天龍寺
大方丈と曹源池
所在地 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
位置 北緯35度0分57.47秒 東経135度40分25.58秒 / 北緯35.0159639度 東経135.6737722度 / 35.0159639; 135.6737722 (天龍寺) / 北緯35.0159639度 東経135.6737722度 / 35.0159639; 135.6737722 (天龍寺)
山号 霊亀山(れいぎざん)
宗旨 臨済宗
宗派 天龍寺派
寺格 大本山、京都五山一位
本尊 釈迦如来
創建年 康永4年(1345年)
開基 足利尊氏、夢窓疎石(開山)
正式名 霊亀山 天龍資聖禅寺
札所等 神仏霊場巡拝の道 第88番
文化財 庭園(特別名勝・史跡)、絹本著色夢窓国師像3幅、絹本著色観世音菩薩像、木造釈迦如来坐像ほか(重要文化財)世界遺産
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
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