平等院は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。
平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。
山号を朝日山と称する。
宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。
本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。
現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる左大臣で嵯峨源氏の源融が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年は小野道風の孫にあたり、園城寺長吏を務めた明尊である。
創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり大日如来を本尊としていた。
翌天喜元年には、西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂が建立された。
鳳凰堂建立の思想的・信仰的背景 :
『観無量寿経』の一節に「若欲至心生西方者、先当観於一丈六像在池水上」するために造られたとするのが定説である。
飛鳥・奈良・平安前期に広まった仏教は、現世での救済を求めるものであった。
平等院が創建された平安時代後期になると、日本では「末法思想」が広く信じられていた。
末法思想とは、釈尊の入滅から2000年目以降は仏法が廃れるという思想である。
しかし、天災人災が続いたため人々の不安は一層深まり、終末論的な思想として捉えられるようになり、この不安から逃れるための厭世的な思想として捉えられるようになる。
仏教も現世での救済から来世での救済に変わっていった。
平等院が創建された永承7年は、当時の思想ではまさに「末法」の元年に当たっており、当時の貴族は極楽往生を願い、西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を本尊とする仏堂を盛んに造営した。
平等院 |
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鳳凰堂(国宝) |
所在地 |
京都府宇治市宇治蓮華116 |
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位置 |
北緯34度53分21.45秒・東経135度48分27.69秒 |
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山号 |
朝日山 |
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宗派 |
単立 |
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本尊 |
阿弥陀如来 |
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創建年 |
永承7年(1052年) |
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開基 |
藤原頼通、明尊(開山) |
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文化財 |
鳳凰堂、阿弥陀如来坐像ほか(国宝)世界遺産 |
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最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia