浄福寺城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本35.66892139.24583
最大35.66959139.246731
最小35.66831139.244606

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エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

浄福寺城(じょうふくじじょう)は現在の東京都八王子市下恩方町にあった山城です。
現在は、標高360m(比高約150m)の山の尾根上に曲輪、空堀や土塁などの遺構が残っています。

推定される住所 / Address

東京都八王子市下恩方町3156-9
東京都八王子市下恩方町3162-9
東京都八王子市下恩方町3163-9
東京都八王子市下恩方町3164-9
東京都八王子市下恩方町3165-9

駅のエリアノート

バス停のエリアノート

# Name Km
1 大久保 0.3
2 恩方中 0.3
3 恩方事務所 0.4

[35.66892 / 139.24583]付近のツイート

  • 500m圏内
  • 1km圏内
  • 5km圏内
  • 10km圏内

誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

浄福寺城は現在の東京都八王子市下恩方町にあった日本の城である。
新城、案下城、松竹城、千手山城など様々な別称で呼ばれていた。
城の南側、陣馬街道に沿って、大石氏によって開基された浄福寺がある。
この寺は、当時武将が待機する居館との説もある。
一帯は八王子市の史跡となっている。
八王子市教育委員会の説明板によれば、大石氏は系図によれば木曾義仲の後裔が信濃国大石郷に住んでいたが、1356年(延文元年)入間・多摩に十三郷を得て多摩に移住し、二宮から浄福寺城、高月城と次第に大豪族となり城を移したといわれ、大石氏の経緯を知る上でも貴重な城跡であるという。
なお、近年において齋藤慎一が同地域に関する古文書や浄福寺城の遺構に関する分析から、従来の大石氏に関する伝承を否定して、浄福寺城こそが後の「由井領」の由来ともなった大石氏の本拠である由井城であり、大石氏を継承した北条氏照も当初はここを本拠としており、永禄10年頃になって初めて滝山城を築いて本城を移したとする説を提示している。
浄福寺城(東京都)
浄福寺城遠景
別名 新城、案下城、松竹城、千手山城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 大石信重か
築城年 至徳元年(1384年)か
主な改修者 北条氏
主な城主 大石氏、北条氏
廃城年 天正18年(1590年)
遺構 土塁、堀
指定文化財 なし
位置 北緯35度40分15.72秒・東経139度14分47.96秒
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
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