小田原城エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本35.25104139.15347
最大35.25228139.156866
最小35.2487139.152424

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エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

小田原城(おだわらじょう)は、神奈川県小田原市にあった戦国時代から江戸時代にかけての平山城です。
北条氏の本拠地として有名です。
江戸時代には小田原藩の藩庁がありました。
現在、城跡は国の史跡に指定されています。

推定される住所 / Address

神奈川県小田原市城内6-9
神奈川県小田原市城内5-9
神奈川県小田原市城内8-9

駅のエリアノート

バス停のエリアノート

# Name Km
1 青橋 0.2
2 小田原競輪場 0.3
3 藤棚 0.3

[35.25104 / 139.15347]付近のツイート

  • 500m圏内
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  • 10km圏内

誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

小田原城は、神奈川県小田原市にあった、戦国時代から江戸時代にかけての日本の城で、北条氏の本拠地として有名である。
江戸時代には小田原藩の藩庁があった。
城跡は国の史跡に指定されている。
だが、建築者は、不明である。
居館部については北条氏以前の大森氏以来のものとするのが通説であるが、大森氏時代にはより東海道に近く15世紀の遺構が実際に発掘されている現在の三の丸北堀付近にあったとする異説もある。
3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵のお城といわれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えた。
江戸時代に居館部が近世城郭へと改修され、現在の小田原城址の主郭部分となったが、八幡山は放置された。
そのため、近世城郭と中世城郭が江戸期を通して並存し、現在も両方の遺構が残る全国的に見ても珍しい城郭である。
最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために作られた広大な外郭である。
八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9キロメートルの土塁と空堀で取り囲んだものであり、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいた。
1614年、徳川家康は自ら数万の軍勢を率いてこの総構えを撤去させている。
地元地方の城郭にこのような大規模な総構えがあることを警戒していたという説もある。
ただし、完全には撤去されておらず、現在も北西部を中心に遺構が残る。
古地図にも存在が示されており、小田原城下と城外の境界であり続けた。
明治初期における小田原町の境界も総構えである。
小田原城(神奈川県)
復興天守
別名 小峯城(小峰城)、小早川城(小早川館)
城郭構造 平山城
天守構造 複合式層塔型3重4階(1633年 築)(1706年 再)(1960年 RC造復興)
築城主 大森頼春
築城年 1417年(応永24年)
主な改修者 上杉氏、北条早雲、大久保忠世、稲葉正勝
主な城主 後北条氏、阿部氏、稲葉氏大久保氏
廃城年 1871年(明治4年)
遺構 石垣、土塁、水堀、空堀、大堀切、土塁、郭、障子堀跡
指定文化財 国の史跡
再建造物 天守、門
位置 北緯35度15分3.77秒・東経139度9分12.39秒
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
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