大庭城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本35.36158139.451609
最大35.36305139.453282
最小35.35864139.449334

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エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

大庭城(おおばじょう)は、神奈川県の藤沢市大庭にあった平山城です。
現在は、戦国時代の大規模な空堀や土塁などが残っており大庭城址公園となっています。
また、現在も残る多くの遺構からは大きな規模の城であった事が分かります。

推定される住所 / Address

神奈川県藤沢市大庭5203-9
神奈川県藤沢市大庭5217-9
神奈川県藤沢市大庭5218-9
神奈川県藤沢市大庭5219-9
神奈川県藤沢市大庭5220-9

駅のエリアノート

バス停のエリアノート

# Name Km
1 天神社前 0.2
2 城下 0.3
3 弁天前 0.4

[35.36158 / 139.451609]付近のツイート

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  • 5km圏内
  • 10km圏内

誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

大庭城は、神奈川県の藤沢市大庭にあった日本の城。
現在も残る多くの遺構からは、大きな規模をもった城であったことがわかる。
この荘園は、桓武平氏の流れをくむ鎌倉景政によって開拓され、伊勢神宮に寄進されたもので、のち子孫は大庭氏に改姓し、代々治めていた。
城を築城したのは大庭景親の父にあたる大庭景宗と言われている。
「大庭の舘」とも呼ばれ、景親らの軍事拠点として重要な役割を果たしたと想定される。
石橋山の戦いで源頼朝に勝ったものの、一族のほとんどは筑前に渡ってしまうが景親は最後まで抵抗し、捕らえられ斬首される。
その後兄の大庭景義の子である大庭景兼が和田合戦にまきこまれ大庭氏は滅亡したとされていたが、現在では、筑後に逃れたという説が有力とされている。
大庭城(神奈川県)
大庭城屋敷跡
城郭構造 平山城
築城主 大庭景宗
築城年 平安時代末期
主な改修者 太田道灌,北条早雲
主な城主 大庭氏,扇谷上杉氏,後北条氏
廃城年 1590年ころ
遺構 郭・土塁・空堀
再建造物 藤沢市立大庭城址公園
位置 北緯35度21分40秒・東経139度27分5秒
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
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