菖蒲城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

タグ / Tags

緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本36.06185139.594238
最大36.06199139.594731
最小36.06145139.593701

他のエリアノート

エリアログ(新着順) / AreaLog(sort by new arrival)

# Title Date
- ログは0件です。ログを残してください。
Log is 0. Please write the log.
-

エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

菖蒲城(しょうぶじょう)は、武蔵国埼玉郡新堀村にあった日本の城です。
埼玉県久喜市菖蒲町新堀に位置しています。
現在は、菖蒲城趾あやめ園となっています。

推定される住所 / Address

埼玉県久喜市菖蒲町新堀964-9
埼玉県久喜市菖蒲町新堀610-9
埼玉県久喜市菖蒲町新堀612-9
埼玉県久喜市菖蒲町新堀615-9
埼玉県久喜市菖蒲町新堀628-9

駅のエリアノート

バス停のエリアノート

# Name Km
1 新堀 0.5
2 役場前 0.7
3 菖蒲総合支所 0.7
4 菖蒲仲橋 0.7
5 上町 0.9

[36.06185 / 139.594238]付近のツイート

  • 500m圏内
  • 1km圏内
  • 5km圏内
  • 10km圏内

誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

菖蒲城は、武蔵国埼玉郡新堀村を構えて5700石を知行し、上級旗本として14代、幕末まで同地を治めた。
初代の金田則綱は古河公方足利成氏の家臣となり、氏綱、顕綱、定綱、頼綱と続き、6代秀綱の時に忍城主成田氏長に属し、豊臣秀吉の関東侵攻により廃城。
その後子孫は帰農し大塚姓を称した。
金田氏の墓所は曹洞宗久林山永昌寺にある。
考古資料 : 旗本内藤家栢間陣屋裏門 遺構 : 菖蒲園の入り口には旗本内藤家栢間陣屋裏門が1998年に移築されている。
明治政府により陣屋は破却されたが、裏門は領内の名主だった三須家に引き取られていた。
現在は遺構は残っていないが、1996年にバス停建設による埼玉県道12号川越栗橋線の拡幅工事前の発掘調査が実施され、平安時代の竪穴住居跡や中世の堀と土塁状の遺構が出土。
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
エリアノート GO / AreaNote GO