堂洞城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本35.48541137.001057
最大35.48821137.005177
最小35.47996136.994362

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エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

堂洞城(どうほらじょう)は美濃国中濃にあった山城です。
現在の岐阜県加茂郡富加町夕田に位置しています。
別名は堂洞山城、堂洞掻上城と言います。
遺構としては曲輪、土塁、空堀が残っています。
岐阜県の史跡にしてされています。
現在、城跡の大部分はゴルフ場となっていおり石碑と説明板があります。

駅のエリアノート

バス停のエリアノート

# Name Km
1 栃洞 0.9
2 広橋 1.2
3 伊深市営住宅 1.2
4 広橋公民館 1.2
5 作り洞 1.3

[35.48541 / 137.001057]付近のツイート

  • 500m圏内
  • 1km圏内
  • 5km圏内
  • 10km圏内

誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

堂洞城は美濃国中濃。
別名、堂洞山城、堂洞掻上城。
濃尾平野の北で、加治田城から目と鼻の先にある。
蜂屋頼隆が織田信長に内心してから、天文・永禄の頃には岸信周が城主であった。
信長の中濃攻略阻止のために築かれた城で、加治田城・佐藤忠能、関城・長井道利、堂洞城・岸信周の中濃三城で盟約を結んだが、佐藤忠能が信長に内心し、堂洞城を中心とした堂洞合戦の後、落城。
そのまま廃城となった。
本能寺の変後、混乱に乗じて斎藤利堯と森長可による加治田・兼山合戦の際、堂洞城跡は森長可の加治田攻城戦の本陣として使用された。
最終更新:2017年5月1日(月)22:44 wikipedia
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