箕輪城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本36.40464138.951001
最大36.40546138.95216
最小36.40415138.949327

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エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

箕輪城(みのわじょう)は、群馬県高崎市箕郷町にあった平城です。
国の史跡に指定され日本100名城の一つに数えられています。
現在は、遺構として石垣・土塁・空堀の跡が残っています。

推定される住所 / Address

群馬県高崎市箕郷町東明屋587-9
群馬県高崎市箕郷町東明屋588-9
群馬県高崎市箕郷町東明屋600-9
群馬県高崎市箕郷町東明屋605-9
群馬県高崎市箕郷町東明屋606-9

駅のエリアノート

バス停のエリアノート

# Name Km
1 箕輪城跡入口 0.3
2 石上寺 0.3
3 東明屋 0.4

[36.40464 / 138.951001]付近のツイート

  • 500m圏内
  • 1km圏内
  • 5km圏内
  • 10km圏内

誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

箕輪城は、群馬県高崎市箕郷町にあった日本の城で、国の史跡に指定されている。
日本100名城の一つ。
城の西には榛名白川、南には榛名沼があり、両者が天然の堀を形成していた。
城地は東西約500メートル、南北約1,100メートル、面積約47ヘクタールにおよぶ広大なものであった。
現在にのこる遺構として、石垣・土塁・空堀の跡が認められる。
歴史・沿革 : 箕輪長野氏の時代 : 永正9年戦国時代中期、当地を支配する長野氏の長野業尚によって築かれた。
また、大永6年業尚の子の信業によって築かれたという説もある。
信業の代には、守護代であり山内家宰の白井・総社長尾氏を凌駕する勢力を持っていた。
戦国時代の上野には関東管領山内上杉家が存在したが、永禄元年、上杉憲政が越後へ亡命した後は、相模を本拠とする北条氏康、甲斐の武田信玄、越後の上杉政虎が侵攻を繰り返す場であった。
このようななかで信業の子長野業正は、上杉氏の後ろ盾を得て、箕輪衆と呼ばれる在郷武士団をよく束ね、「名君」と謳われて長野氏全盛時代を築き、最大の版図を有するに至った。
業正の代にはまた、武田信玄の侵略がたびたび繰り返されたが、これをよく退け安定した地位を保った。
箕輪城(群馬県)
箕輪城の石碑
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 なし
築城主 長野業尚
築城年 1512年(永正9年)
主な改修者 武田氏、北条氏、井伊氏
主な城主 長野業正、内藤昌月、滝川一益、北条氏邦、井伊直政
廃城年 1598年(慶長3年)
遺構 石垣、土塁、空堀、馬出し、井戸、復元門
指定文化財 国の史跡
位置 北緯36度24分17.8秒・東経138度57分3.5秒
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
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