佐野城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本36.31886139.578981
最大36.31997139.579754
最小36.31793139.577951

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エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

佐野城(さのじょう)は、下野国安蘇郡佐野にあった平山城です。
栃木県佐野市若松町に位置していました。
別名は春日岡城・春日城・姥城とも呼ばれます。
現在、佐野城山公園となっています。

推定される住所 / Address

栃木県佐野市若松町509-9
栃木県佐野市若松町510-9
栃木県佐野市若松町444-9
栃木県佐野市若松町463-9
栃木県佐野市若松町487-9

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誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

佐野城は、下野国安蘇郡佐野である。
別名春日岡城・春日城・姥城。
佐野氏は北条氏から養子を迎えていたため、小田原征伐の際には滅亡の危機を迎えた。
だが、一族の佐野房綱が豊臣秀吉に仕えていたため、役後に房綱が当主に就くことで断絶を免れた。
その後、房綱は豊臣氏近臣である富田氏から信吉を養子に迎えて家の安泰を図った。
豊臣政権側も同城を江戸城の徳川家康を牽制するために活用しようと図った。
ところが、関ヶ原の戦いによって徳川政権が成立したことによって佐野氏を継いでいた佐野信吉の立場は微妙となった。
1602年佐野氏は徳川家康の意向を受けて、上杉謙信の攻撃をもしのいだ山城の唐沢山城を廃して麓に新規に佐野城を築城した。
唐沢山城の廃止理由としては、江戸大火展望説、山城禁令説、豊家縁故説などが出されている。
理由は明らかではないものの、徳川政権の本拠地である江戸の近くに豊臣氏に近い大名が山城を持つことが徳川氏にとって不都合であったことが推定される。
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
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