矢板城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本36.80733139.926639
最大36.80757139.927186
最小36.80716139.926134

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エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

矢板城(やいたじょう)は、栃木県矢板市大字矢板にあった平城です。
別名は矢板館とも言われました。
現在は矢板小学校の北にある公民館の庭先に小さな祠があり城址碑が建てられています。

推定される住所 / Address

栃木県矢板市本町4-9
栃木県矢板市本町8-9
栃木県矢板市本町3-9
栃木県矢板市本町7-9
栃木県矢板市鹿島町3-9

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バス停のエリアノート

# Name Km
1 市役所前 0.2
2 寿町 0.2
3 本町十字路 0.3

[36.80733 / 139.926639]付近のツイート

  • 500m圏内
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  • 10km圏内

誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

矢板城は、栃木県矢板市大字矢板にある平安末期に矢板重郎盛兼によって築かれた日本の城。
天正18年、あるいは、正保元年9月19日廃城。
矢板館とも呼ばれる。
但し、塩谷惟純が塩谷郡復帰後に居城としたという伝承』によれば、堀江塩谷氏の3代目にあたる塩谷惟頼が居城したという伝承もある。
塩谷氏の居城である川崎城の北の守りの支城として機能しており、平城ではあるが、やや高台に城が築かれていた。
南側の一段低い土地に広がる湿地帯と、城の東を流れる人工の用水路である富田堀を天然の要害とし、北に土塁を築いて防御を固めた城で、当地には権現山と呼ばれる古墳もあり、そこは物見台として使用されていた。
矢板城の廃城後、当地は「たたり山」と呼ばれ、城の土塁などがそのまま残されていたが、明治時代に入り、学校の建設など開発によって遺構が徐々に破壊され、土塁の土も矢板駅の建設や近くの窪地の埋め立てに使われて破壊され、現在は、その遺構のほとんどを失っている。
ただ、当地は今も高台になっており、それが城の面影を残している。
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
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