苗木城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本35.51312137.485142
最大35.51532137.48673
最小35.51165137.48085

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概要 / Summary

苗木城(なえぎじょう)は、岐阜県中津川市にあった山城です。
別名は霞ヶ城、赤壁城、高森城と言います。
国の史跡に指定されています。
遺構としては石垣、堀、井戸、門部材が残っています。

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# Name Km
1 苗木城 0.8
2 新谷 1.1
3 苗木 1.2
4 玉蔵橋 1.2
5 山の田川 1.5

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誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

苗木城は、岐阜県中津川市にあった日本の城。
別名は霞ケ城。
苗木藩の藩庁が置かれた。
国の史跡に指定されている。
仁治2年景村は木曽川北部の所領確立のため、木曽川左岸の西山戸から右岸の那木津戸に進出。
那木津戸が当時、那木(苗木)と呼ばれた所で、遠山氏による木曽川北部進出の始まりとなった。
元弘年間遠山一雲入道、遠山景長親子が、高森山に砦を築く。
元弘~建武年間の頃、遠山景利が恵那郡福岡村植苗木に広恵寺城を築き宗良親王を迎える。
文明5年10月、小笠原家長と木曾家豊が伊那谷と木曽谷から東濃に侵攻する。
大永4年3月、小笠原定基の家臣高柴景長が神明神社の造営を行なう。
大永6年に遠山一雲入道昌利が植苗木から高森山に館を移す。
天文3年、松尾小笠原氏の本拠松尾城が陥落、小笠原定基が甲斐の武田氏のもとに逃れる。
天文11年11月、遠山景安が笠木社に梵鐘を寄進する。
武田氏、織田氏、森氏の苗木城攻め : 天文年間に遠山正廉が高森に苗木城を築く。
天文24年、木曾氏が甲斐の武田氏に降る。
永禄3年5月、苗木勘太郎が桶狭間の戦いに出陣する。
永禄8年苗木勘太郎の娘が武田勝頼に嫁ぐ。
永禄12年6月18日雲岳宗興大禅定門死去。
同年6月遠山直廉、広恵寺に禁制を下す。
元亀3年5月18日雲嶽宗高大禅定門死去。
武田氏からの指示により飛騨国益田郡竹原へ侵攻し三木氏と戦い大威徳寺を焼くが、その時の矢傷が元で後に死去したとされる。
同年12月、武田家臣秋山虎繁が上村合戦にて遠山景行、苗木勘太郎、串原右馬介経景、小里内記を破る。
天正年間前半、遠山友勝死去。
天正元年8月、木曾義昌が河折籠屋を攻め落とし、苗木を攻める。
天正2年2月、武田勝頼が東美に侵攻し、先ず高山城、苗木城を落とし、更に支城16箇所を全て落とす。
天正3年、織田信忠が岩村城を落とし、東濃諸城を奪還する。
天正10年可児郡の兼山城主であった森長可が苗木を攻める。
天正11年兼山城主の森長可再び苗木地方を攻め苗木城が落城。
遠山友忠・遠山友政父子は徳川家康を頼り浜松に走る。
苗木遠山氏の帰還 : 慶長4年森氏信濃川中島に移封される。
川尻直次が苗木城主となり、城代・関治兵衛が城を守る。
慶長5年遠山友政は徳川家康の命を受け苗木城を攻略奪回し、徳川家康から苗木領を安堵され、後に苗木藩が成立する。
明治以降 : 明治2年苗木藩主の遠山友詳(友禄)が版籍奉還により藩知事となる。
明治4年廃藩置県により苗木藩は廃藩となり、苗木県となる。
明治17年7月7日華族授爵ノ詔勅により、遠山友詳(友禄)は子爵となる。
1981年、国の史跡に指定された。
2017年4月6日、続日本100名城に選定された。
遺構 : 三の丸にある大矢倉 巨大な自然石である馬洗岩 本丸・二の丸・三の丸などの石垣や大矢倉跡・風吹門跡・綿倉門などの門跡、堀が残っている。
天守台や大矢倉の石垣、馬洗岩など巨大な自然石が複数箇所で利用されているのが大きな特徴。
菱櫓台の下に千石井戸と呼ばれる井戸が残る。
大手口道は長さ500m、高低差150mあり「四十八曲り道」といわれている。
建築物としては、大手門の扉と柱が残り、中津川市苗木遠山史料館にて展示されている。
伝説 : 「赤壁城」の別名があり、城の壁は白漆喰ではなく赤土がむき出しになっていたと伝えられる。
その理由については、木曽川に住む竜が白い色を嫌い、何度漆喰を塗り直しても嵐を起こしてはぎ取ってしまったという話が残されている。
また、中部日本新聞夕刊に1960年代前半に掲載されていた「ふるさとの童話」という記事にも同じような物語が紹介された。
苗木城は美しい白壁の城として完成したが、一夜明けると漆喰が全部落ちて赤土が露出している。
何度塗りなおしても、朝になると同じことであった。
殿様は、犯人を見届けてやろうと、一人で夜の天守閣で見張っていた。
すると、夜空が掻き曇って雨風が出て来たかと思うと、恐ろしい大きな竜が現われ、熱い息を城に吐きかけると、たちまち壁が落ちてしまったという。
苗木城(岐阜県)
苗木城址と恵那山
別名 霞ヶ城赤壁城
城郭構造 山城
天守構造 不明
築城主 遠山正廉
主な城主 遠山氏森氏川尻氏
廃城年 1871年(明治4年)
遺構 石垣、堀、井戸、門部材
指定文化財 なし
登録文化財 なし
埋蔵文化財包蔵地
再建造物 天守建物(柱組)
位置 北緯35度30分47.52秒・東経137度29分6.94秒
最終更新:2017年5月1日(月)22:44 wikipedia
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