大椎城は日本の城。
所在地は千葉県千葉市緑区大椎町。
歴史・沿革 :
平安時代中期に平忠常によって築かれた。
長元元年から長元4年にかけての平忠常の乱はこの大椎城を拠点として戦われた。
平忠常の乱は長期間に渡ったが、源頼信が追捕師として下されると、忠常は出家し、子の常将・常近は甲斐国の源頼信の下に赴き降伏した。
平忠常の乱後、常将の後裔千葉氏は引き続き大椎城に拠り、源氏方として前九年の役等で活躍した。
大治元年、千葉常重が千葉城を築き、本拠を移したが、その後も千葉氏の一族が拠った。
15世紀中頃になると、酒井氏の勢力が伸張し、大椎城は同氏の拠る所となった。
天正18年、小田原征伐により酒井氏が滅亡し廃城となったとされる。
構造 :
大椎城は村田川支流により刻まれた谷に挟まれた半島状台地の先端に占地し、湧水により尾根の繋がりも開析されている天然の要害となっている。
城域は、この独立性の高い台地上全体に渡っている。
城域の内部は四つの郭が直線的に並ぶ構造となっており、それぞれの郭の間に空堀が掘られている。
一の郭は内部が折れを伴う空堀で更に区画されており、戦国時代の特徴を示す。
また、一の郭の西側斜面には複数の郭が存在し、一の郭直下の郭は両谷に向けた突出部を構成するとともに、南側に廻り帯郭を形成している。
大椎城(千葉県) |
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大椎城遠景 |
城郭構造 |
連郭式平山城 |
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天守構造 |
なし |
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築城主 |
平忠常 |
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築城年 |
平安時代中期 |
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主な城主 |
千葉氏、酒井氏 |
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廃城年 |
1590年(天正18年)か |
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遺構 |
土塁、堀 |
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指定文化財 |
なし |
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位置 |
北緯35度31分7.24秒・東経140度15分22.73秒 |
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最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia