駒ヶ嶺城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本37.85093140.91588
最大37.85259140.918155
最小37.84904140.91455

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エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

駒ヶ嶺城(こまがみねじょう)は、陸奥国宇多郡にあった平山城です。
別名は臥牛城、駒ヶ嶺要害、駒ヶ嶺所とも言われます。
本丸跡には城跡碑と案内板が、南麓には戦死塚および仙台藩士戊辰戦没之碑が建っています。

推定される住所 / Address

福島県相馬郡新地町駒ケ嶺字裏沢2-9
福島県相馬郡新地町駒ケ嶺字裏沢5-9
福島県相馬郡新地町駒ケ嶺字裏沢11-9
福島県相馬郡新地町駒ケ嶺字裏沢33-9
福島県相馬郡新地町駒ケ嶺字裏沢58-9

駅のエリアノート

バス停のエリアノート

# Name Km
1 新林 0.4
2 駒ケ嶺 0.6
3 原入口 0.9

[37.85093 / 140.91588]付近のツイート

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  • 10km圏内

誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

駒ヶ嶺城は、福島県相馬郡新地町にあった日本の城。
沿革 : 永禄年間から天正初年頃に、相馬盛胤が伊達氏への防衛網を強化するために築き、藤崎摂津守を城将として置いた。
天正17年5月に、伊達政宗の家臣・亘理重宗が駒ヶ嶺城を攻略すると、政宗は黒木宗俊を城主とした。
この時に政宗が獲得した宇多郡北部は幕末に至るまで仙台藩の所領となり、駒ヶ嶺城は浜通りの伊達領最南端の城砦となった。
駒ヶ嶺城(福島県)
別名 臥牛城、駒ヶ嶺要害、駒ヶ嶺所
城郭構造 平山城
築城主 相馬盛胤
築城年 永禄年間から天正初年頃
主な城主 藤崎氏、新田氏、富塚氏、宮内氏
廃城年 慶応4年(1868年)
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
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