笠間城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本36.38256140.266088
最大36.38295140.266539
最小36.382140.265563

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概要 / Summary

笠間城(かさまじょう)は、茨城県笠間市の佐白山にあった山城です。
江戸時代には笠間藩の藩庁が置かれていました。
別名は桂城と言います。
現在は佐白山麓公園として整備されています。
山上の遺構は良く旧態を留めていて、石垣、堀などが残っています。

推定される住所 / Address

茨城県笠間市笠間3349-9
茨城県笠間市笠間3383-9
茨城県笠間市笠間3385-9
茨城県笠間市笠間3386-9
茨城県笠間市笠間3545-9

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誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

笠間城は、茨城県笠間市の佐白山にあった日本の城である。
江戸時代には、笠間藩の藩庁が置かれた。
劣勢であった正福寺勢が下野守護宇都宮頼綱に援軍を求めたところ、頼綱は甥の笠間時朝を派兵した。
時朝は元久2年、徳蔵寺の僧兵と戦うための拠点として佐白山山麓に麓城を築城し、徳蔵寺を討った。
ところが麓城の規模があまりにも大きかったため、味方のはずの正福寺の僧兵までも時朝に敵対した。
時朝は結局正福寺と徳蔵寺を滅ぼした後、承久元年(1219年、堅固な城を佐白頂上に築城した。
これが笠間城の起こりである。
その後笠間氏は18代にわたって笠間を治め、南北朝時代の5代笠間泰朝の時には、南朝に属して勤王の兵を挙げ、北朝の佐竹義春の攻撃を受けたが、籠城戦の末これを撃退している。
天正18年の小田原征伐の際、18代笠間綱家が宗家の宇都宮氏に逆らい、同戦役後宇都宮氏に攻められ滅亡した。
その後、一時宇都宮氏が支配した後蒲生郷成が入城し、この郷成の手により織豊系城郭に改修されたと考えられている。
笠間城(茨城県)
遠景
別名 桂城
城郭構造 山城
天守構造 2重(不明)
築城主 笠間時朝
築城年 承久元年(1219年)
主な改修者 蒲生郷成
主な城主 笠間氏、宇都宮氏、蒲生郷成、牧野氏
廃城年 明治4年(1868年)
遺構 空堀、石垣、土塁、井戸、移築櫓・門
指定文化財 なし
位置 北緯36度22分56.95秒・東経140度16分2.93秒
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
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