土浦城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本36.08469140.198164
最大36.08518140.199366
最小36.08372140.197134

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エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

土浦城(つちうらじょう)は、常陸国新治郡にあった平城です。
現在の茨城県土浦市に位置しています。
別名は亀城と言います。
茨城県指定史跡の第1号です。
藩校郁文館の正門が土浦市立土浦第一中学校に現存しているが、他に移築現存するものはすべて個人所有となっています。
本丸と二の丸南側が亀城公園となっています。
他には塁、堀が残っています。

推定される住所 / Address

茨城県土浦市中央一丁目13-9
茨城県土浦市中央一丁目15-9
茨城県土浦市中央二丁目16-9

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バス停のエリアノート

# Name Km
1 亀城公園前 0.1
2 亀城公園 0.1
3 裁判所前 0.2

[36.08469 / 140.198164]付近のツイート

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  • 10km圏内

誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

土浦城は、常陸国新治郡にあった日本の城。
室町時代に築かれ、江戸時代に段階的に増改築されて形を整えた。
幅の広い二重の堀で守る平城である。
天守は作られなかった。
太鼓櫓門が現存し、東西二か所の櫓が復元されている。
土浦は度々水害に遭っているが、その際にも水没することがなく、水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから亀城の異名を持つ。
茨城県指定史跡第1号。
戦国時代に入り永正13年、若泉五郎左衛門が城主の時、小田氏の部将・菅谷勝貞によって城は奪われ、一時、信太範貞が城主を務め、後に菅谷勝貞の居城となる。
しかし、小田氏は上杉・佐竹勢に徐々に圧迫され、小田氏治は小田城を逃れて土浦城に入った。
その後、度々小田城を奪回するが永禄12年の手這坂の戦いで真壁軍に大敗して勢力を失い、元亀元年以降は佐竹氏の攻撃を直接受けるようになり、菅谷政貞・範政親子も主君小田氏を補佐したが、天正13年、ついに小田氏治は佐竹氏の軍門に降る。
天正18年、豊臣秀吉の小田原征伐の際に菅谷範政は後北条氏と結んだため佐竹氏や徳川家康の軍勢に攻められ、主君小田氏とともに滅亡した。
関東に入った徳川家康は、土浦を次男で結城氏に養子入りした結城秀康に与え、土浦城を領内の支城とする。
秀康が越前国北ノ庄に移ると、藤井松平家の松平信一が3万5千石で入封。
その後松平信吉の代に5千石の加増を受ける。
元和3年、信吉が上野国高崎に転封となって西尾忠永が2万石で入封。
以後、城主は西尾氏・朽木氏と代わり、寛文9年、土屋数直が4万5千石で入封。
土屋氏は、天和2年、子の政直のとき天和2年駿河国田中に移ったが、代わって城主となった大河内松平家の松平信興が5年後の貞享4年に大坂城代に転ずると、土屋政直が再び6万5千石で入封。
その後三度の加増を受けて9万5千石となり、常陸国では水戸藩に次いで大きな領地を支配し、以後土屋氏が11代、約200年間世襲して明治維新に至った。
土浦城(茨城県)
太鼓櫓門(2015年9月)
別名 亀城
城郭構造 輪郭式平城
天守構造 なし
築城主 若泉三郎
築城年 永享年間(1429年~1441年)
主な改修者 松平信一・信吉、西尾忠照朽木稙綱・種昌
主な城主 若泉氏、小田氏、松平氏西尾氏、朽木氏、土屋氏
廃城年 1873年
遺構 太鼓櫓門、土塁、堀
指定文化財 茨城県史跡
再建造物 東櫓・西櫓
位置 北緯36度5分6.37秒・東経140度11分53.33秒
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
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