上山城(月岡城)(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本38.1575140.276198
最大38.15849140.2776
最小38.15646140.274425

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概要 / Summary

上山城(かみのやまじょう)は、山形県上山市にあった平山城です。
別名は月岡城と言います。
江戸時代には上山藩の藩庁が置かれていました。
現在は月岡公園とされています。
一部は月岡神社境内となっています。
また二の丸跡は模擬天守が建てられていて郷土歴史資料館になっています。

推定される住所 / Address

山形県上山市元城内3-10
山形県上山市十日町3-10
山形県上山市元城内2-10
山形県上山市元城内1-10

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誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

上山城は、山形県上山市にあった日本の城である。
別名、月岡城。
江戸時代には上山藩の藩庁が置かれた。
満長は上山市松山の虚空蔵山に高楯城を築き居城とした。
永正5年に伊達氏がこの城を攻め落とし、城主上山義房は逃亡。
伊達家臣小簗川貞範がこの地に入った。
永正17年最上義定の死去に伴う混乱に乗じて義房が兵を挙げるものの伊達稙宗と戦って討死する。
天文4年上山義房の子武衛義忠が城を奪還。
義忠によって天神森に改めて築城された平山城が現在の上山城である。
以後城主は武衛義節、そしてその子上山満兼と続く。
この頃、天童氏は最上八楯を形成し、最上義光と対立。
満兼も天童一門として義光に従う事を拒否し、伊達氏とともに山形を攻めるなどした。
しかし天正8年義光は里見民部を寝返らせて上山城を攻め落とし、城主満兼は討死。
代わって里見民部が上山城主になった。
江戸初期に最上氏が改易された後は、没落した諸大名が3万石から4万石で入部し、城主を務める氏族がめまぐるしく変わるが、上山藩自体は幕末まで存続した。
本丸を囲んで一段低く周囲に二の丸があり、外濠が取り巻いていた。
藤井氏時代は天守はなく、二の丸に居館が設けられていた。
金森家が転封された際に一度破却されたが、破却前は本丸に三重の天守や各所に櫓門がある近世城郭であり、月岡・天神森にそびえるその壮麗な城郭は「羽州の名城」として広く知れ渡っていた。
藤井松平家が封じられた際に上山城は再興されたが、二の丸に居館を設けた程度の城構えであり明治を迎えた。
上山城(山形県)
模擬天守
別名 月岡城
城郭構造 平山城
天守構造 不明(望楼型3層5階、鉄筋コンクリート造模擬)1982年
築城主 武衛義忠
築城年 1535年
主な改修者 松平(能見)重忠
主な城主 上山氏、小簗川氏、藤井松平氏ほか
廃城年 1873年
遺構 石垣、土塁、堀
指定文化財 なし
再建造物 模擬天守
位置 北緯38度9分26.99秒・東経140度16分34.28秒
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
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