田中城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本34.87223138.274498
最大34.8735138.27693
最小34.86921138.272595

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概要 / Summary

田中城(たなかじょう)は静岡県藤枝市西益津にあった平城です。
別名は亀甲城、亀井城、徳之一色城と言います。
遺構としては石垣、水堀、移築櫓などが残っています。
現在、本丸及び二の丸跡には西益津小学校、三の丸跡は西益津中学校となっています。

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バス停のエリアノート

# Name Km
1 田中 0.3
2 立花町 0.3
3 市営住宅平島 0.5
4 下屋敷入口 0.5

[34.87223 / 138.274498]付近のツイート

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誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

田中城は静岡県藤枝市田中にあった日本の城。
形式は平城。
江戸時代には田中藩の藩庁が置かれた。
永禄13年の武田氏による駿河侵攻以降、三河の徳川氏に対抗する駿河西部の城砦網の要として重要視された。
天正10年、徳川勢により攻められ開城。
天正18年の徳川家関東移封後は駿府城主中村一忠の管轄となった。
慶長6年、酒井忠利が田中藩主となり城域の拡張や藤枝宿の城下町への取り込みなどを行った。
酒井忠利は慶長14年に川越に転出し、以後は駿府に居を構える徳川頼宣・徳川家康によって支配された。
なお、元和2年1月に徳川家康は田中城に立ち寄り、茶屋四郎次郎に供されて鯛の天ぷらを食した。
これが家康の死因とする説がある。
田中城(静岡県)
本丸櫓(現存・移築)
別名 亀甲城、亀井城、徳之一色城
城郭構造 輪郭式平城
天守構造 2層2階
築城主 今川氏
築城年 天文6年(1537年)
主な改修者 山県昌景
主な城主 今川氏、一色氏、武田氏、本多氏
廃城年 明治元年(1868年)
遺構 石垣、水堀、移築櫓他
指定文化財 なし
位置 北緯34度52分19.22秒・東経138度16分28.57秒
最終更新:2017年6月20日(火)12:26 wikipedia
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