天童城(舞鶴城)(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本38.35373140.375699
最大38.35529140.379181
最小38.35004140.374246

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エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

天童城(てんどうじょう)は、山形県天童市天童にあった山城です。
別名は舞鶴城と言います。
現在、城跡の大部分は舞鶴山公園となっています。

推定される住所 / Address

山形県天童市大字天童1043-10
山形県天童市大字天童50-10
山形県天童市小路一丁目9-10
山形県天童市小路一丁目8-10

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誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

天童城は、山形県天童市天童にあった日本の城。
東西1000メートル、南北1200メートルの範囲に及ぶ村山地方最大の山城。
また、標高231.8メートルの山頂部に主郭を置き、現在は愛宕神社が建つ。
この下には、帯曲輪が巡り、要所には幾重にも段状の曲輪が連なる。
歴史 : 南北朝時代、北畠天童丸が居を構えたとされるが、文中年間最上氏の圧力により天童城を去ったという。
最上直家の子天童頼直が養子として成生楯を本拠とする里見氏に入っていたが、天授元年/永和元年、天童城に移り天童氏を称した。
その後天童氏は一門を領内に分散配置することで村山郡に大きな勢力を築き、最上八楯の領袖として次第に最上氏と対立した。
天正5年最上義光は天童城を攻め、天童氏は最上八楯の援軍を得て最上軍を撤退させるが、天正12年最上義光がまたも攻めると延沢信景などの寝返りにより落城。
廃城となった。
天保元年天童藩主・織田氏が入り、陣屋は、天童の田鶴町に置かれた。
行政面を重視した近世後期の城郭であったが、戊辰戦争の際焼失した。
天童城(山形県)
城郭構造 山城
築城主 北畠天童丸?、天童頼直
築城年 天授元年/永和元年(1375年)
主な城主 北畠氏?、天童氏
廃城年 天正12年(1584年)
遺構 主郭平坦部、曲輪跡
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
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