長瀞城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

タグ / Tags

緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本38.45868140.375233
最大38.45965140.376048
最小38.45799140.37461

他のエリアノート

エリアログ(新着順) / AreaLog(sort by new arrival)

# Title Date
- ログは0件です。ログを残してください。
Log is 0. Please write the log.
-

エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

長瀞城(ながとろじょう)は、戦国時代から江戸時代にかけて存在した平城です。
現在の山形県東根市長瀞地区に位置しています。
別名は雁城、長瀞陣屋と言われています。
遺構はほとんど残っていないが、城跡ははっきりしており長瀞城は町の大本となっています。

推定される住所 / Address

山形県東根市大字長瀞4794-10
山形県東根市大字長瀞1323-10

駅のエリアノート

バス停のエリアノート

[38.45868 / 140.375233]付近のツイート

  • 500m圏内
  • 1km圏内
  • 5km圏内
  • 10km圏内

誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

長瀞城は、戦国時代から江戸時代にかけて存在した城。
現在の山形県東根市長瀞地区に城跡が残る。
別名、雁城ともいう。
時代が変遷すると最上氏の所領となり、4代目当主最上満家が隠居の為に利用した。
その後は最上満種や最上満宗の居城になったとも、長瀞左衛門尉が本拠を構えたとも言う。
本格的に城郭が整備されるのは最上義光が入城してからである。
元和8年に最上氏が改易されると山形藩の所領となり、鳥居氏、保科氏と城主は変遷する。
寛文11年、保科氏の転封に伴い天領となり、幕府が元締陣屋を設置して直轄した。
その後、寛政10年に米津氏が武川久喜からこの地に入り、長瀞藩の長瀞陣屋となった。
特徴 : 水堀、土塁を二重に巡らせた方形輪郭式の平城で、かなりの規模を持っていた。
通常の城は三の丸までだが、四の丸まであったという。
ただし、遺構が残存しておらず、確固たる検証はできない。
また、城跡がはっきりしている。
地図を見れば明らかだが、長瀞城は町の大本になっている。
特に整備がされていて、貴重な文化財として活用されることが期待される。
ただし、復元された部分が多いという事には注意を要する。
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
エリアノート GO / AreaNote GO