長谷堂城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本38.21249140.272365
最大38.21333140.273309
最小38.21131140.270905

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エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

長谷堂城(はせどうじょう)は、山形県山形市長谷堂にあった山城です。
別名は亀ヶ城と言います。
現在、山全体が城址公園となっています。

推定される住所 / Address

山形県山形市長谷堂9-10
山形県山形市長谷堂10-10
山形県山形市長谷堂11-10
山形県山形市長谷堂12-10
山形県山形市長谷堂16-10

駅のエリアノート

バス停のエリアノート

# Name Km
1 西向 0.3
2 川原 0.5
3 長谷堂南 0.6

[38.21249 / 140.272365]付近のツイート

  • 500m圏内
  • 1km圏内
  • 5km圏内
  • 10km圏内

誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

長谷堂城は、山形県山形市長谷堂にある中世の日本の城跡。
山の形から「亀ヶ城」とも呼ばれていた。
特に、置賜地方にあった長井氏を滅ぼした伊達氏との争いの中で重要な防御拠点である。
1514年、伊達稙宗が当城を落としたとの記録が長谷堂城の初見である。
この合戦により、最上氏は不利な条件で和議を結び、伊達氏の風下に立つこととなる。
歴史・沿革 : 歴史上、最も当城が注目されたのは1600年、戦が長引く中石田三成率いる西軍が関ヶ原で敗北したことで、上杉勢は撤退を余儀なくされる。
戦後、長谷堂城は坂光秀に与えられ、光秀没後は子の坂光重が継いだ。
しかし、1622年に最上騒動により、山形藩主・最上義俊が改易されると、幕府は周辺諸藩に軍勢を出させ、各城の受け取りをさせた。
長谷堂城の受け取りを担当したのは、皮肉にも景勝であった。
長谷堂城は収公後、破却された。
なおこの時には、兼続は既に死亡しており、景勝も収公の翌年に没した。
長谷堂城(山形県)
長谷堂城主郭
別名 亀ヶ城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 建造されず
築城主 最上氏
築城年 16世紀初期
主な城主 最上氏、志村氏、坂氏
廃城年 1622年(元和8年)
遺構 曲輪
指定文化財 なし
位置 北緯38度12分45.6秒・東経140度16分20.76秒
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
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