楽田城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本35.32803136.950388
最大35.32834136.950653
最小35.32779136.950009

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エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

楽田城(がくでんじょう)は、尾張国丹羽郡楽田にあった平城です。
愛知県犬山市楽田に位置しています。
遺構としては碑と土塁がわずかに残っています。

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誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

楽田城は、尾張国丹羽郡楽田にあった日本の城である。
平城。
現在ほとんど遺構は残っていないが、「天守」に当たる建築物を建てたとの記述が歴史文献にある城としては最も古いとされる。
歴史 : 永正年間に尾張守護代であった織田久長が築城したと伝わる。
以後は楽田織田氏の居城となったが、織田寛貞の代に、永禄初年に尾張で最大勢力となった織田家末流の織田信長についた犬山城主織田信清に攻略され、信清の出城となった。
ところがまもなく永禄5年に信清は信長に離反したために犬山城を追われ、楽田城は信長の武将・坂井政尚が守備した。
しかし坂井氏は長男の久蔵尚恒が元亀元年7月の姉川の戦いで討死、さらに政尚自身も同年12月に近江国滋賀郡堅田で戦死したともあり、楽田城には梶川高盛が入って城主となった。
その後小牧・長久手の戦いで前線基地となり、羽柴秀吉の部将であった堀秀政が入り、さらに秀吉自身も陣所としたという。
戦後、楽田城は廃城となった。
楽田城(愛知県)
楽田城址
城郭構造 平城
築城主 織田久長
築城年 永正年間
位置 北緯35度19分41.5秒・東経136度57分1.9秒
最終更新:2017年7月25日(火)18:09 wikipedia
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