刈谷城(三河国)(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本34.98932136.984642
最大34.99003136.985393
最小34.98782136.983504

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概要 / Summary

刈谷城(かりやじょう)は、三河国碧海郡刈谷にあった平城です。
現在の愛知県刈谷市に位置しています。
別名は亀城と言います。
遺構としては辰巳櫓、土塁、水堀、曲輪が残っています。
現在は亀城公園として整備されています。

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誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

刈谷城は、三河国碧海郡刈谷にあった日本の城。
正しくは「刈屋城」であるが、刈谷市が1950年4月以降に市制施行してから、「刈谷」という表記がされるようになった。
別名「亀城」と呼ばれる。
以下は、この「刈谷城」に関する記述である。
城の構造 : 衣ヶ浦の北端東岸に面して築かれ、西から順に本丸、帯曲輪、さらに、入江のない他の三方に堀が巡らされて二の丸、三の丸と続き、三の丸東側に大手門が置かれていた。
天守はなかったが、北西と南東に隅櫓があり、周りを土塀で囲んで本丸を形成、二の丸との間には内堀と馬出しが設けられていた。
歴史 : 天文2年水野忠政により築城。
築城後忠政は本拠地を緒川から刈谷に移しており、徳川家康生母於大は刈谷城から岡崎の松平広忠に嫁している。
於大は父忠政の死後、兄水野信元が今川氏を離れ織田氏についた(織水同盟)ため松平氏を離縁された後も刈谷城近くの椎の木屋敷で久松氏に再嫁するまでの日を過ごしている。
『三河物語』によると、桶狭間の合戦の項目で「小河より水野四郎右衛門尉ヲ使にコサせラレテ」との記述があり、桶狭間の合戦当時、水野信元は緒川城もしくはその周辺を守備していたか、あるいは日和見をしていたものと考えられる。
また、『三河物語』の三河一向一揆の項目では、水野下野守より武具にて佐崎之取出え見舞に御越有。
」と記述がある。
刈谷城(愛知県)
刈谷城址碑
別名 亀城
城郭構造 平城
築城主 水野忠政
築城年 天文2年(1533年)
主な城主 水野氏
廃城年 明治4年(1871年)
遺構 辰巳櫓、土塁、水堀、曲輪、石碑
位置 北緯34度59分21.7秒・東経136度59分6.8秒
最終更新:2017年8月19日(土)11:51 wikipedia
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