牛久保城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本34.80882137.383182
最大34.81035137.384119
最小34.80771137.382145

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エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

久保城(うしくぼじょう)は三河国宝飯郡牛久保にあった平城です。
現在の愛知県豊川市牛久保町に位置しています。
別名は牛窪城と言います。
現在、城跡はJR飯田線牛久保駅や住宅地となっており遺構は残っていません。
石碑が立っています。

駅のエリアノート

バス停のエリアノート

# Name Km
1 牛久保南 0.3
2 牛久保 0.5
3 高見 0.8
4 正岡 0.9
5 豊川市民病院前 1.0

[34.80882 / 137.383182]付近のツイート

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誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

牛久保城は三河国宝飯郡牛久保。
天正18年に牧野康成は徳川家康の関東移封に従って上野国勢多郡大胡に2万石を領して移動した。
牛久保城は吉田城に入った豊臣家臣池田輝政の支城となり、重臣の荒尾成久が城主となった。
慶長5年の関ヶ原の戦いの後は牛久保周辺は天領となり、城郭の一部が代官所になるなどして機能していたが、元禄13年に廃城となった。
遺構 : 牛久保城はかつて豊川の古い河岸段丘を利用した2重の水堀を備えた平城であったが、その城域が現在はJR飯田線牛久保駅や住宅地となってしまったために、その遺構が全く滅失している。
ただし城跡周辺には城跡・城下・大手などの小字が残り、往時をしのばせる。
過去の発掘の結果、堀の遺構は確認されている。
牛久保衆の構成 : 牛久保衆は城主牧野氏を頭目とする武士集団であり、牧野氏直臣団とこれに合力する寄騎衆・地侍衆より構成されていたと考えられる。
牛久保衆の用語は『牛窪記』のほか『家忠日記』にもみられ、牧野氏軍団を指す一般的用語である。
寄騎・年寄衆 : 牧野山城守、野瀬丹波守、和泉・同嘉竹、真木越中守・真木善兵衛、稲垣平右衛門尉、山本帯刀。
山本氏・稲垣氏は、寄騎であるが、牧野家重臣として解説されるときがある。
一門衆 : 牧野平三郎・平四郎。
これらは享禄年間から永禄年間に寺社棟札や古文書・古記録などにみられる牛久保に関係する牧野一族の名前である。
上記以外の牛久保衆人名 : 牛久保城古図には、大きな侍屋敷しか記載がないが、上記寄騎・重臣の各氏の庶家と思われる姓・名以外にも以下の各氏を見ることができる。
彼らが牛久保在城期の牧野氏においてどのような地位にあったかは文献上で今のところ検証できないが、牛久保衆の主要部を構成していたものと推察される。
明石、秋山、安藤、石黒、伊東、大林、金子、神谷、坂井、榊原、陶山、関、武、竹内、贄、宮橋、渡辺、渡部。
牛久保城(愛知県)
牛久保城址
別名 牛窪城
天守構造 無し
築城主 牧野保成
築城年 享禄2年(1529年)
主な改修者 池田輝政
主な城主 三河牧野氏
廃城年 元禄13年(1700年)
指定文化財 なし
位置 北緯34度48分32.62秒・東経137度22分58.57秒
最終更新:2017年8月28日(月)10:20 wikipedia
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