利府城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本38.336140.981712
最大38.33708140.982614
最小38.33442140.980468

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エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

利府城(りふじょう)は、現在の宮城県宮城郡利府町にあった山城です。
別名は村岡城、森郷城とも呼ばれています。
現在は館山公園となっていて、本丸跡は桜の名所となっています。
二の丸・三の丸にあたる平地には児童向けの遊具が置かれています。

推定される住所 / Address

宮城県宮城郡利府町利府字椎ノ木3-10
宮城県宮城郡利府町利府字椎ノ木4-10
宮城県宮城郡利府町利府字椎ノ木5-10
宮城県宮城郡利府町利府字椎ノ木6-10
宮城県宮城郡利府町利府字椎ノ木7-10

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誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

利府城は、現在の宮城県宮城郡利府町に存在した日本の城である。
山頂付近から3段もしくは5段にわたる曲輪が作られており現在でも曲輪跡の平地を見ることが出来る。
歴史 : 利府城は鎌倉時代の奥州探題である留守氏の家臣村岡氏によって築かれたと考えられている。
その後も村岡氏の居城であったと考えられるが、長い間歴史の表舞台には出てこなかった。
1567年、村岡氏の主家である留守氏が伊達氏から養子を迎えることになると村岡氏はこれに反発する。
しかし、養子縁組は滞りなく行われた。
これを受けて1569年に村岡氏は挙兵し留守氏と交戦するも、翌1570年に利府城は落城して村岡氏は滅亡した。
利府城(宮城県)
別名 村岡城、森郷城
城郭構造 山城
築城主 村岡氏
築城年 不明
主な改修者 留守氏
主な城主 村岡氏、留守氏
廃城年 1590年(天正18年)
遺構 曲輪、空堀、土塁
指定文化財 なし
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
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