膳所城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本34.99527135.895386
最大34.99617135.896244
最小34.99439135.894356

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概要 / Summary

膳所城(ぜぜじょう)は、滋賀県大津市本丸町にあった平城です。
別名は石鹿城、望湖城と言います。
遺構としては石垣、移築櫓・城門が残っています。
他へ移築されたが大手門、北大手門、南大手門が国の重要文化財に指定されています。
また、模擬門が再建されています。
現在、本丸跡は膳所城跡公園として整備され、二の丸跡は膳所浄水場となっています。

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バス停のエリアノート

# Name Km
1 膳所公園 0.1
2 本丸町 0.3
3 丸の内町 0.5
4 丸ノ内町 0.5
5 中ノ庄 0.6

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誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

膳所城は、現在の滋賀県大津市本丸町にあった日本の城である。
陸続きの部分に三の丸を配し、二の丸・北の丸・本丸が琵琶湖に突出する梯郭式の縄張りであった。
本丸には4重4階の天守が上げられ、水面に映える姿は里謡に「瀬田の唐橋からねぎぼし、水に浮かぶは膳所の城」と謡われていた。
沿革 : 近世 : 慶長5年関ヶ原の戦いに勝利し名実共に天下人となった徳川家康は、翌、慶長6年東海道の押さえとして、大津城を廃し膳所崎に城を築かせた。
膳所城は江戸城、大坂城、名古屋城など天下普請として江戸幕府が諸大名に号令し築いた城の第1号である。
縄張りは城造りの名手と言われた藤堂高虎に計画させた。
湖の中に石垣を築き、本丸西隅に4重4階の天守が築かれた。
家康がこの地を選んだ理由として、昔より「瀬田の唐橋を征するものは天下を征する」と言われた瀬田の唐橋に近い場所であったからであると言われる。
築城された年に大津城主戸田一西を3万石で入城させここに膳所藩が成立した。
以後、譜代大名の居城となった。
その子の氏鉄は元和3年に摂津国尼崎藩に転封となった。
膳所城(滋賀県)
 本丸遠景
別名 石鹿城、望湖城
城郭構造 梯郭式平城
天守構造 4重4階(非現存)
築城主 徳川家康
築城年 慶長6年(1601年)
主な改修者 本多俊次
主な城主 戸田氏、本多氏
廃城年 1870年
遺構 石垣、移築櫓・城門
指定文化財 国の重要文化財(大手門、北大手門、南大手門 ※全て他所へ移築)
再建造物 模擬門
位置 北緯34度59分42.98秒・東経135度53分43.29秒
最終更新:2017年10月19日(木)23:56 wikipedia
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