船岡山城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本35.03912135.741856
最大35.03985135.743937
最小35.03796135.740354

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概要 / Summary

船岡山城(ふなおかやまじょう)は京都市北区にあった山城です。
別名は船崗山城、山名城と言います。
遺構としては削平面、土塁、横堀が残っています。
また、国の史跡に指定されています。
現在、城跡は公園として整備されています。

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誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

船岡山城は京都市北区にある中世の日本の城跡。
別名、船崗山城、山名城とも呼ばれている。
翌年、東軍によって落城し、その後は東西両軍とも利用しなかったため、廃城となった。
臨戦用の陣城と推定されており、恒久的な城郭施設の存在は不明である。
遺構としては山腹に横堀が掘られており、堀の外側土塁が積みあがっている。
また山頂部にはかなり広い削平面が確認でき、典型的な中世の山城であった。
沿革 : 応仁の乱で、備前国守護の山名教之や丹後国守護の一色義直らが船岡山城で立てこもった。
この時に、西軍は船岡山一帯を陣地としたため、その後「西陣」の名で呼ばれるようになる。
次は、永正8年に細川政賢と大内義興の間で繰り広げられた有名な船岡山合戦が行われた。
船岡山城(京都府)
船岡山城(横堀跡)
別名 船崗山城、山名城
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 大内政弘
築城年 応仁元年(1467年)
主な城主 大内政弘、山名教之、細川政賢
遺構 削平面、土塁、横堀
指定文化財 国の史跡
位置 北緯35度2分22.916秒・東経135度44分30.721秒
最終更新:2017年10月19日(木)23:56 wikipedia
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