高槻城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

タグ / Tags

緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本34.84251135.622916
最大34.84338135.623903
最小34.84172135.621865

他のエリアノート

エリアログ(新着順) / AreaLog(sort by new arrival)

# Title Date
- ログは0件です。ログを残してください。
Log is 0. Please write the log.
-

エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

高槻城(たかつきじょう)は、明治7年まで大阪府高槻市にあった平城です。
別名は久米路山龍ヶ城、入江城と言われます。
大阪府の史跡に指定されています。
遺構としては堀、移築城門が残っています。
現在、城跡は石垣および天守台が復元され城跡公園として整備されています。

駅のエリアノート

バス停のエリアノート

# Name Km
1 城西町 0.6
2 沢良木町 0.6
3 城東町 0.6
4 学校前 0.6
5 庄所 0.7

[34.84251 / 135.622916]付近のツイート

  • 500m圏内
  • 1km圏内
  • 5km圏内
  • 10km圏内

誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

高槻城は、明治7年まで大阪府高槻市にあった日本の城。
入江城とも呼ばれる。
天正元年からは本格的な城塞が築かれた。
豊臣氏滅亡後は内藤信正が城主となり、以降高槻藩の藩庁として用いられた。
内藤氏の後は土岐氏、松平氏、岡部氏、永井氏とたびたび城主が入れ替わった。
明治7年に廃城となり、東海道線が敷設される際、石垣や木材などがその資材にあてられた。
現在、城域の一部が城跡公園として整備され、復元石垣、高山右近像が建てられている。
高槻城(大阪府)
高槻城跡の石碑
別名 久米路山龍ヶ城、入江城
城郭構造 平城
天守構造 三重天守(非現存)
築城主 近藤忠範
築城年 10世紀末
主な改修者 和田惟政、土岐定義
主な城主 入江氏、和田氏、高山右近、内藤氏、永井氏
廃城年 明治7年(1874年)
遺構 堀、移築城門
指定文化財 大阪府指定史跡
再建造物 石垣および天守台が模擬復元
位置 北緯34度50分33.95秒・東経135度37分15.31秒
最終更新:2017年11月19日(日)10:40 wikipedia
エリアノート GO / AreaNote GO