平塚城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本35.74621139.746336
最大35.74639139.746469
最小35.74601139.745777

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エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

平塚城(ひらつかじょう)は、現在の東京都北区にあたる武蔵国豊嶋郡にあった城です。
別名は、豊島城です。
平塚神社の周辺にあったとされています。

推定される住所 / Address

東京都北区上中里一丁目47-9
東京都北区上中里一丁目38-9
東京都北区上中里一丁目46-9
東京都北区上中里一丁目39-9
東京都北区西ケ原二丁目2-9

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誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

平塚城は、武蔵国豊嶋郡にあった日本の城。
別名は豊島城。
後三年の役の帰路に源義家、義光、義綱の兄弟がこの館に逗留し、手厚いもてなしに感謝した義家は鎧一領と十一面観音像を下賜した。
後に、この鎧を城の守り本尊として埋めて塚を築いた。
これを鎧塚。
なお、『桓武平氏諸流系図』には豊島清元の弟として「平塚入道」、後年の『豊島名字之書立』には「平塚豊後」の名が記載されているが、これらの人物と平塚城との関係は明らかではない。
室町時代中期頃に豊島氏は石神井城を築いて本拠とし、練馬城・平塚城はその支城となったに陣を張り石神井城と対峙、18日になってからは一旦和平交渉が結ばれた。
しかし、豊島氏側が条件であった「城の破却」を実行しなかったことから、21日に道灌は攻撃を再開、外城を攻め落としたため、泰経は同日夜に城を捨て逃亡した。
翌文明10年1月に泰経は平塚城で再挙するが、同月25日に再び道灌が攻撃に向かったため、またしても戦わずして逃亡、以後は行方不明となった。
これにより豊島氏本宗家は滅亡、平塚城もその後使用されることなく廃城となった。
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
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