久留里城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本35.28758140.090011
最大35.28809140.090661
最小35.28662140.089159

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概要 / Summary

久留里城(くるりじょう)は、現在の千葉県君津市久留里付近にあった山城です。
別名は雨城・霧降城・浦田城とも言います。
現在は城山公園になっており模擬天守が再建されています。

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誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

久留里城は、現在の千葉県君津市久留里付近にあった日本の城である。
別名、雨城・霧降城・浦田城とも呼ばれる。
戦国時代には真里谷氏は衰え、代わって里見氏の拠る所となり、里見氏によって再構築され、佐貫城と共に対北条氏の最前線を担った。
その後、江戸時代には久留里藩の藩庁として再整備され、酒井氏の加増地となった17世紀末から18世紀半ばを除いて、近世城郭として明治維新まで維持された。
構造 : 久留里城は現在本丸のある近世城郭部に加え、安住原地区、怒田遺跡および山麓小櫃川河畔の近世居館部の4つの郭群からなる。
この内、江戸時代には近世城郭部と近世居館部のみが城域として維持されたが、安住原地区については真里谷氏時代の遺構であり、里見氏時代には既に放棄されていたと考えられている。
ただし、安住原地区は里見氏時代も引き続き使用されたと考える向きも多い。
遺構 : お玉が池 山麓の近世居館部は一部の土塁を除き開発により消滅したが、車道で一部が削られたものの山上の遺構は比較的よく残り、天守台等の近世遺構に加え、堀切や削り残し土塁等の中世里見氏時代の遺構も見られる。
また、山上は湧水が豊富で、男井戸・女井戸、お玉が池を始めとする、複数の水源が現在でも水を湛えている。
沿革 : 久留里城址資料館前に立つ新井白石像-2012年 古久留里城 : 平将門の三男頼胤が築城したという伝説もあるが定かではない。
上総武田氏の祖となった武田信長が康正元年に上総国守護代に任ぜられ、翌康正2年に築城したといわれるのが史実に基づく最初の築城である。
戦国時代には、武田氏が戦乱や内紛により弱体化した機に乗じて里見氏がこれを抑えた。
久留里城(千葉県)
久留里城天守台跡(手前)と模擬天守
別名 雨城、霧降城、浦田城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 2重(1724年築)(非現存)独立式望楼型2重3階(1979年 RC造模擬)
築城主 武田信長
築城年 康正2年(1456年)
主な改修者 里見義堯、黒田直純
主な城主 上総武田氏、里見氏、後北条氏、大須賀忠政、土屋忠直、黒田氏
廃城年 明治5年(1872年)
遺構 土塁、堀切、郭、土橋、井戸
指定文化財 なし
再建造物 模擬天守
位置 北緯35度17分15.2秒・東経140度5分24秒
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
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