宮森城(址)エリアノート GO/ AreaNote GO

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緯度 経度 / longitude latitude

緯度経度
基本37.55254140.509815
最大37.55407140.512047
最小37.55114140.508571

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エリア範囲 / Area range

概要 / Summary

宮森城(みやもりじょう)は現在の福島県二本松市小浜にあった城です。
四本松城とも呼ばれていました。
宮森城跡には神社が建てられています。
郭跡や石垣、堀切、礎石、庭石が残っています。

推定される住所 / Address

福島県二本松市西勝田821-9
福島県二本松市西勝田字つつじ山158-9
福島県二本松市西勝田字つつじ山79-9
福島県二本松市西勝田字つつじ山82-9
福島県二本松市西勝田字つつじ山235-9

駅のエリアノート

バス停のエリアノート

# Name Km
1 小浜中学校 0.4
2 上花畑 0.4
3 反町 0.5

[37.55254 / 140.509815]付近のツイート

  • 500m圏内
  • 1km圏内
  • 5km圏内
  • 10km圏内

誰でも編集できるフリー百科事典からの要約

宮森城は現在の福島県二本松市小浜にあった日本の城。
歴史・沿革 : 応永3年、奥州管領に任じられた宇都宮氏広が築城。
当初はこの城を四本松城と称した。
宮森城と名を改めたのは、文明3年にこの城を修築して入った塩松石橋氏家臣・大河内修理である。
永禄11年、塩松石橋氏最後の当主・石橋尚義が、田村氏に内応した小浜城主大内義綱らによって追放され石橋氏が亡ぶと、翌永禄12年に義綱は石川有信・寺坂信濃と共に宮森城主・大河内備中を攻め滅ぼし、宮森城は大内領となる。
義綱の子・定綱が家督を継ぐと、大内氏は田村氏からの独立を画策したため、天正13年、田村清顕の娘婿・伊達政宗によって攻められ、定綱は小浜城を放棄して二本松城へと逃れ、宮森城もまた伊達領となった。
政宗は引き続き二本松城主・二本松義継を攻めるため小浜城に入り、その後を追うようにして政宗の父・輝宗が宮森城に入った。
義継が政宗に降伏を申し入れると、政宗は二本松氏の所領のほとんどを召し上げるという条件を突き付けたが、輝宗の斡旋により条件が緩和されることになった。
10月8日、義継は輝宗の尽力に謝意を表すため宮森城を訪れたが、その帰り際に突如輝宗を拉致した。
政宗は阿武隈川河畔で義継に追いつくと、輝宗もろとも義継を銃撃して射殺した。
この後、宮森城には白石宗実が入って塩松地方を押さえた。
最終更新:2017年2月18日(土)09:34 wikipedia
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